やまびこ停車場

ただいま、過去に投稿した記事の一部を非公開にしております。

国宝松本城-その2

城郭見物でございます。

南側より進入すると、先ず目に入ったのはこの石柱でした。
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では、さっそく城内へ・・・
この城はもともと、信濃守護であった小笠原氏の城の支城として築かれたもので、
元は「深志城」と名乗っていました。それゆえか「深志」の2文字をあちこちで見つけられます。
んで、更に奥へ向かい、券売所を抜けると見えてくるのが正門である黒門です。
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綺麗に保存されている風にも見えましたが、実は1990年に再建されたものでした。
豊臣秀吉の世になり、小笠原氏の後に石川数正が松本移封。
今の天守はこの石川氏によって築かれたものです。
そして堀の内側から見た天守はと言うと・・・
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堀の向こうからの写真しか見たことが無いので、違った一面を見つけると嬉しいものを感じます。
手前に広がる芝生は本丸御殿跡で、かつてここに本丸があったそうなのですが、
江戸時代に消失し、以来再建されていません。
まっ平らな地面に石垣と天守群がちょんちょんちょんと置かれているように見えなくも無い。

お城と言えば、
高い石垣の中に更に高い石垣があって、その上に天守台と天守がある、例えば姫路城みたいなのを、
ついつい思い浮かべてしまいます・・・。ここはそうじゃありませんでした。
いわゆる「平城」と言われる形式です。
堀の内側と外側で高さもあまり変わりなく、なので土台も意外と低いところにあって、
これは私も生で見て始めて気付きました。

それにしても、いや~立派なこと!

どれだけ格のあった殿様の城だったのか・・・「20~30万石くらい?」と勝手に想像。
でも、この地にそんな有名な大名なんていたっけ?

何と意外や意外、その石高は10万石未満!
10万石って言ったら中堅クラスかな?勝手な判断だけど。
今や3名城の一つにも数えられると言うのに・・・、なのでそのギャップに驚いてしまいました。

歴代藩主は6家23代。
初代・石川数正(石川氏)から、かつての守護・小笠原氏、そして
戸田→松平→堀田→水野、そして最後は戸田氏で落ち着いて幕末を迎えました。