やまびこ停車場

ただいま、過去に投稿した記事の一部を非公開にしております。

知ってたのしい! 鉄道の信号 土屋武之・栗原景・伊原薫著

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題名 知ってたのしい! 鉄道の信号
編者 土屋武之・栗原景・伊原薫
発行所 交通新聞社
発行日 2022年10月6日
ISBN978-4-330-05622-7

 

 撮り鉄かつ乗り鉄の私は、信号機についてはあまり追求しなかったほうで、それどころか昔は編成写真至上主義で「写真に信号機が映り込んでいるなんて以ての外!」という考えだったから、邪魔者扱いしていた事が多かった。

 

 一転して信号機に興味を持ち始めたのは、通勤途上で青と黄色が同時点灯する「減速」の信号を頻繁に見かけるようになってからの事。鉄道信号は道路の信号と違い、灯りが同時に2個点く場合がある。それはさておき、その「減速」を示す信号機は毎日歩いて渡る踏切のすぐ脇にあった。

 

 朝の通勤時間帯、開かずの踏切には全く及ばないが遮断機が一旦下りると遮断桿が上がるまで電車を2本3本とやり過ごすことは当たり前。せっかちな私は踏切での待ちぼうけを回避したくてね・・・。

 

 踏切脇にあるその信号機は遮断機がすぐに下りるか否かの目安として作用していた。見通しの良い場所で、遠くから見た時点で黄色ならば踏切をすんなり渡れるだろう、青ならば棹に遮られる可能性大という経験則が次第に出来上がってきたのだが、黄色(注意)と青色(進行)の中間にある減速現示は微妙だった。

 

 急げば間に合うがゆっくりだとアウトかも・・・と、自分の意識次第でどうにでもなるのかと自覚し始めると、減速現示に対しては格別の注意を払うようになり、それが昂じて信号機に興味を持つに至ったのだろうと自己分析している。

 

 前置きが長くなったが、この本を選んだ決定打は、読んだ翌日から使えそうな知識がふんだんに盛り込まれていると思ったから。事実、踏切脇にあった信号機に見落としていたものがあったことに気づかされた。この信号機は場内信号機だったのである。減速指示が多かったのも何となく分かったような気がする。

 

 ところで、この本の第3章は「鉄道の信号を実際に観察しよう」というタイトルで、これが一番面白かった。話の核は中央快速線を走るE233系の前面展望を通して信号観察をするというものであるが、観察の着眼点は大いに参考になる。信号機の灯りの数は幾つあるか(道路信号と違って3個とは限らない)、信号機同士の間隔はどれくらいか、この2つを意識するだけで世界は驚くほど変わる・・・、と言ったら言い過ぎだろうか。

 

 さて、覚えたての知識を頼りに早速信号機を観察しに出かけてみた。場所は東海道本線の横浜-保土ヶ谷間。

 横須賀線相鉄線との並走区間でもある。相鉄11000系が通過する右側に、灯りが3つ横並びに点いている中継信号機があるのが確認できるが、なるほどカーブで見通しが悪いから中継信号機があるのだとすぐに分かった。カーブのすぐ先は西横浜駅

 

 次は東海道本線上り方面の信号機。

 なんだ?客って。一瞬戸惑ったが、東海道本線は貨物線が別にあるから、貨物に対する旅客の客を持ってきたものだろうと推測。5灯式の信号機を改めて眺めると、思っている以上に縦長である。下に目玉のようについているのは進路予告機か・・・。じっくり観察してみると意外なほどに面白いね、コレ。

40代からの勉強法&記憶術 碓井孝介著

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題名 40代からの勉強法&記憶術
編者 碓井孝介
発行所 PHP研究所
発行日 2018年3月2日
ISBN978-4-569-83768-0

 

 合格したから打ち明けるのだが、昨年とある試験を受けた。気まぐれも甚だしく、受験を決意したのと出願締め切りがほぼ同じ時期だった。最下級のグレードだったので高を括ったのだが、とんだ大間違い。前年度の過去問を解いたら、このままでは合格しないことをイヤでも自覚させられた。

 

 最下級グレードを落としたなんて露見したら立場がない。幸いなことに誰にも受験するとは言わなかったのだが、私は急に焦りはじめ、空いている時間全てをつぎ込んで勉強しまくった。

 

 ところで、40代の勉強法とは一体何なのだろうか。どの世代も忙しいといえば忙しいのだが、40代は「特に」時間がない。その理由は家庭との両立だという。さらに、40代は記憶力の減退を自覚し始めるときでもある。しかし、もっと記憶力の落ちる50・60代はそれを時間で補う位の余裕があるのだとか。なるほど。

 

 要するに40代の勉強法とは、トコトン時短を追求した、短時間プラス短期決戦の勉強法のことらしい。余裕のなかった私はこの本を頼りに過去問をひたすら解いていく道を選択した。

 

 教科書を無視していきなり過去問にフォーカスするのには若干の抵抗もあった。しかし時間は無い。この現実は素直に受け入れざるを得なかった。学生時代の、王道ともいうべきような勉強スタイルをスパッと手放したのは正解だったと思う。

 

 この本は、著者が司法書士とか公認会計士の資格を持っている方で、明らかにビジネス系(文系)向けの指南書である。私が受けた技術系(理系)の試験にノウハウのすべてが応用できるとは思わなかったが、少なくとも過去問活用の分野については全く同じ対応で問題なかった。

 

 過去問は5回取り組めとあったので、5年分はなんとか手を付けたし、切羽詰まった状況だったせいもあるが、自分にしては随分と素直に指南通りに実践したと思う。それにしても5回は多いと思った。しかし振り返ってみると、2回では足りなかった。3回でもまだ不安、安心材料足り得るには5回必要なことが実践してみてよく分かる。現実問題、記憶力が落ちているので、短時間・短期決戦ではあるものの繰り返すこともまた重要である。

 

 余談になるが、試験終了直後は茫然自失気味だった(笑)。計算問題が努力の甲斐なくボロボロで、それなのに合格したのは「計算問題の配点凄く低くね?」としか思えない。採点基準は非公開で知る由もないのだが、意外にも「努力しなくても合格してた」なんてオチだったりして。

正しい検図 自己検図・社内検図・3D検図の考え方と方法 中山聡史著

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題名 正しい検図 自己検図・社内検図・3D検図の考え方と方法

著者 中山聡史

発行所 日刊工業新聞社

発行日 2017年8月25日

ISBN978-4-526-07740-1

 

 図面を発行する直前に図面に誤りがないかどうかを確認する作業を検図という。最近、上司が変わったら検図のやり方も変わり、今までと比べて格段に厳しくなってしまった今日この頃。

 

 上司が今までよりもきちんと図面を見てくれるのは勿論歓迎なのだが、しかし、自分がチェックしたという証拠をすべて紙に書いて出せ(或いはプリンタで出力しろ)と言う。ペーパーレスが叫ばれているこの時代に、なんて面倒な・・・。当事者間で合意が取れていればそれで良いのではないか?内心そういう不満もあったのだが、ともあれ検図の煩わしさに辟易したのが原動力となって、この本を読むに至ったのである。

 

 あるべき検図の姿とは一体何か。検図というかなりマニアックな分野であるにも関わらず、具体例が示されているところが有難い。汎用的な一般論では納得し難い私にとってはこれが本書を選ぶ決め手となった。

 

 具体例と言えば、この図面の中にある3つの間違いを探してみようという挑戦的な問題があった。私は一つしか答えられなかった。答え合わせすると「なんだそんなことか」と呆気無いほど簡単な間違いだったのだが、答えられなかった2つの間違いは図面だけを見ていては決して気づくことは出来ないものだった。成程、検図はこれから発行する図面だけを用意して出来るものではないのである。

 

 それに気づいて以来、私は検図の際には自然と関連資料を漏れなく揃えられるようになった。自席とプリンターとの往復回数は間違いなく増え、資料の束はダブルクリップを目一杯開いて閉じる位に分厚くなった。紙資源を浪費していないか・・・という不安はあるものの、上司から資料を追加要求される状況は確実に減ったと感じている。

 

 それからもう一つ。効率的な検図という点では、「手本図」という言葉を知ったことも大きな収穫だった。大半の設計は流用設計だと思うのだが、流用元の図面はあってもその図面が手本と言うにふさわしいかと言われるとそうでない場合の方が多い。流用図を見ながら描いていると、迷うことが多々ある。「こんなところまで細かく描く必要ある?」、逆に「情報欠落していると思うけど本当に大丈夫なの?」とか。上位職制の検図スタンスが前例踏襲主義なのを考えると、作図者としては意外と悩ましい問題だったりする。

 

 三連休も残り1日。休みが明けたら、作図・検図と追われる日々がまた始まるのだ!

愛しの盛岡―老舗タウン誌「街もりおか」の五十年― 道又力編

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題名 愛しの盛岡―老舗タウン誌「街もりおか」の五十年―
編者 道又力
発売元 盛岡出版コミュニティー
発行日 2018年7月18日
ISBN978-4-904870-44-0

 

 1968(昭和43)年創刊の歴史ある盛岡のタウン誌「街もりおか」。創刊50周年を機に、掲載作品の中から100編を選り抜きして文庫化したのが本書である。今回は、盛岡人以外には全く意味のない読書感想になってしまうことを予めお許し願いたい。

 

 勤め人になるまで盛岡で生まれ育った私だが、地元タウン誌といえば「acute(アキュート)」しか知らなかった。今になってこの老舗誌の存在を知るとは、私は盛岡のことを知らな過ぎたと言わざるを得ない。

 

 雑誌の存在も然ることながら、記事の中身もディープ盛岡そのもので初めて知ることばかり。手こずったのは、旧町名のオンパレードで土地勘が全く冴えなかったことだった。すぐに分かったのは、若かりし父が下宿していたという長町(現:長田町)だけ。私は本当にあの街の住人だったのだろうかと思うくらいの惨敗っぷりだった・・・。

 

 記事は年代的に偏りがないように選ばれた感じがあり、いつ書かれたのかを意識して読むと面白かった。特に草創期に書かれた座談会の記録は盛岡弁丸出しで、思わず笑ってしまう。「あねさん、漬物くなんしぇ」って。(「ねえさん、漬物ください」の意。)

 

 そういえば中学生の頃、授業で騒ぐと「うるしぇ!」(「うるさい!」の意)と怒る英語教師がいて、変な喋り方だなぁと思った記憶があったが、今思えばその先生は盛岡弁にどっぷり浸って育ったのだろう。当時の生活圏の中でそういう喋り方の人は他にいなかったので、アレが方言だったという事実はちょっとした驚きだった。

 

 ところで、先日ちょっとだけ盛岡の実家に帰省していた。暑い盛りで水分補給が必要だったが、その半分は水道水で賄った。昔も今も盛岡の水道水は美味い。「おいしい盛岡の水」という一編が本書にも収録されているが、我が意を得たりという気持ちで一杯になるエッセイだった。

 

帯に書かれたキャッチコピーは「オメハン モリオガ 好ギダエン?」(私が訳するならば、「お前さん 盛岡 好きでしょう?」の意)で、短い一文だが私の知っている昔の盛岡に出逢えると直感。これが購入の決め手だった。期待は裏切らなかった。

 

 そして、本書を読んだ直後の帰省で盛岡駅のさわや書店に置いてある「街もりおか」の最新号を買って読んでみた。文庫本のほうは文章オンリーで、700ページ近くもある分厚いものだが、冊子のほうは写真がふんだんに取り入れられていてとっつきやすい。

 

 帰りの新幹線の中で一気に読んだが、故郷盛岡を愛おしくしてくれる人がこんなにもいるのかと思うと、盛岡で生まれ育って良かったとつくづく思う。「明日からまた仕事だ」と憂鬱になる気持ちを相殺するくらいに。

誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論 松本俊彦著

題名 誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論
著者 松本俊彦
発行所 みすず書房
発行日 2021年4月1日
ISBN978-4-622-08992-6

 

 産経ニュースの記事で目にしたのがきっかけだった。「精神科医としてどんな患者が一番好きかと問われたら、私は迷うことなく『覚せい剤依存症』と答えるだろう」と、変化球を放り込まれたような一文。興味を抱かせるには充分すぎるインパクトだった。

 

 写真付きの記事だったが、お洒落で個性的な風貌、これがまた関心を引く一つの要素だった。よく見ると白衣が・・・、それは我々のよく目にする丈の長い白衣ではなく、ジャケットの形をした白い羽織物だった。道理でカッコよく見えた訳である。

 

 こう言っては大変恐縮なのだが、国の研究施設の部長にはとても見えなかった。しかし、そのギャップが面白くもあり、また型破りでありつつも先入観に囚われない姿勢を感じたのもまた事実である。

 

 たった一つの記事で個性的だと分かる位の独特の感性は、著者の文章にも遺憾なく表れている。まるで短編小説のようなエピソード集で、「事実は小説より奇なり」という言葉がピッタリだった。しかし、その大半は失敗談や苦い思い出の類で、中には患者の自殺という最悪の結末を迎えた厳しい話もある。

 

 それらのエピソードの後には決まって教訓めいた事が述べられているが、これが実に説得力を持つのである。「薬物依存の本質は『快感』ではなく『苦痛』である」というのはその一つだが、「薬物」という言葉を外せば誰彼にも当て嵌まるような気がして侮れない。

 

 実は、私は毎日の缶コーヒーが止められないでいる。手を出すのは決まって出勤日の、疲労も溜まり始めた午後3時頃だったのが、最近は加えて午前中も飲むようになってしまった。休日は飲まなくても平気とはいえ、依存症然とした自分の振る舞いに辟易していた。これがこの本を読むに至った理由だった。止めるにはどうすれば良いのかという答えを探す為に。

 

 その答えは、良くわからなかった。エピソードは、どれも激烈過ぎて自分に置き換えて考えることも無理だった。しかし、「孤立している者ほど依存症になりやすく、依存症になるとますます孤立する。」という指摘は大いに私をドキリとさせた。お世辞にも人間関係が濃密とは言い難い。コーヒー依存の背景にあるのは、まさか孤立?そんな発想すら無かったのだが、的外れとも言い難く、じっくりと分析するだけの価値はあるかもしれない。

「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯 城山三郎著

題名 「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯
著者 城山三郎
発行所 文藝春秋
発行日 1992年6月10日(※)
ISBN4-16-713918-9
※発行日は文庫版のもの。それ以前の1988年6月に単行本として刊行されている。


 日本国有鉄道の頂点に君臨する国鉄総裁。総裁は、国鉄38年の歴史の中で10人存在した。その顔触れを見ると10人中9人が東大卒かつ官僚出身の人物で占められている。私がこの事実を知ったとき、唯一の非東大で民間出身の総裁が何故か魅力的に映ったのである。一体どんな人物だったのか・・・。

 

 それが石田禮助(いしだれいすけ)である。東京高等商業学校(のちの一橋大学)を卒業、三井物産に入社して代表取締役社長にまで上り詰めた。国鉄総裁に就いたは三井を去って20年以上も経った77歳のときであるから、驚きを禁じ得ない。ついでに言うと、勇退と言うに相応しい綺麗な退任が出来た総裁もこの人だけだったらしい。

 

 結論から言うと、本書の内容は可も無く不可も無くと言った感じで無難に纏められていた。それよりも、本書に関しては本文よりも題名に気持ちが向いてしまったので、今回は題名に関する感想を述べたい。

 

 昔、週刊少年ジャンプ連載の「魁!!男塾」という漫画を読んでいたことがあった。その中で塾長の江田島平八が、ライバル塾の塾長を評して「粗にして野だが卑にあらず!!」と喋ったシーンがあり、少年心ながら名台詞だと感銘を受けたことを今でも覚えている。

 

 中国古典か何かの引用だろうかと当時は勝手に思い込んでいたが、今Webで検索するとそんな気配は全く無く、城山三郎氏の著作ばかりがヒットする。あの江田島塾長の台詞は、恐らく城山氏のこの本が起源なのだろうと、考えを改めざるを得ない。

 

 というわけで、本家本元(?)の城山氏の著作にいよいよ目を向けてみる。城山氏の作中では、国鉄総裁に就任した石田禮助が就任後初めて国会に呼ばれたとき、自己紹介の一節として「生来、粗にして野だが卑ではないつもり。(以下略)」と喋ったことになっている。

 

 本書は伝記と言うよりは小説で、だから本当にそう喋ったのか疑わしかったが、国会ならば国会議事録があるので、実際の発言が確認できる。石田禮助が総裁就任後に国会に初めて登場するのは昭和38(1963)年5月21日の運輸委員会のときで(衆参同日開催)、そのときの議事録を抜粋したのが以下である。


衆議院 運輸委員会での発言

「(前略) 御承知のとおり、私は生来きわめて粗野です。卑ではないが、粗にして野です。(中略) 傲慢じゃないが、ここにいらっしゃる運輸大臣そのほかのような低姿勢でいくということは私はできないのです。(笑声)これをしいてやろうといたしますと、モンキーにかみしもを着せたようなことになる。私にはそういうことは絶対にできない。石田という男はそういう粗野の男で、低姿勢のできない男だということを十分御了解の上で私を見ていただきたいと思います。(後略)」

 

参議院 運輸委員会での発言

「(前略) 私は、どうも生来きわめて粗野で、ほかの、この前の総裁及びここで拝聴していました運輸大臣のごとき低姿勢で答弁するというようなことは私にはできないし、また柄でもない。しいてこれをしようとすると、モンキーにかみしもを着せたような変なことになりますので、どこまでも正直に、ありのまま申し上げます。どうぞひとつ十分の御理解をいただきますように、切にお願いしておきます。(後略)」


 なるほど、確かに「粗野」で「卑ではない」とちゃんと表明している。意外だったのは、小説とは違って実際の発言は「ですます」調が基本だったこと。本書では、目上の人との会話シーンが少ないせいか、石田自身の発言は殆どが所謂タメ口で、粗野を印象付けるには十分過ぎる位だった。

 

 国会での発言も小説中では偉ぶっている表現だったから、本当にそういう人なのだと勘違いを起こしてしまったが、プライベートはともかく、公人としての石田禮助はもう少し節度ある人物だったと見て良いだろう。

国鉄―「日本最大の企業」の栄光と崩壊 石井幸孝著

題名 国鉄―「日本最大の企業」の栄光と崩壊

著者 石井幸孝

発行所 中央公論新社

発行日 2022年8月25日

ISBN978-4-12-102714-6

 

 今年は鉄道開業150周年。節目の年に相応しいテーマの本が発表されたものである。国鉄が分割されてJRになったのは昭和62(1987)年のことで、もう35年も前の事になるが、過去を振り返るには丁度良い時期だと思う。

 

 鉄道150年の歴史の中で、公共企業体日本国有鉄道」の時代はたったの38年間(昭和24(1949)~昭和62(1987)年)。長いようで意外と短かったと感じるのは私だけだろうか。その38年間を大雑把に分けると昭和39年の東海道新幹線開業を境に、それまでが栄光でそれ以降が崩壊というスタンスで書かれている。

 

 昭和39年度に決算が初めて赤字になり、分割民営化になるまで二度と黒字には戻らなかった、というのが一つの根拠である。国鉄はなぜ崩壊したのか。それは私が一番知りたかった事だが、「金利倒産」という側面を持っていたと本書は教えてくれる。

 

 早い話が借金が返せなくなって潰れたということだが、問題はなぜ借金をしたのか、である。単なる収入減(=利用者離れ)が一番の原因だと思っていた私はずっと勘違いしていたことに初めて気づく。

 

 国鉄末期の昭和59年度の数字を見てみると、長期債務残高は21兆8269億円、収入は3兆5686億円で経費が5兆2190億。経費のうち金利経費が1兆6504億円。ということは利払いを除いた支出は3兆5686億円で、収支トントンと言って差し支えない。

 

 思いの外善戦していたというのが正直な感想であると同時に、金利だけでこれだけ苦しめられるのか・・・。赤字を甘く見てはいけないと、改めて痛感させられる。

 

 東海道新幹線をはじめとした設備投資には巨額の資金が必要になる。公共企業体として資金は自前で調達する必要がある。つまり借金と言う形をとることになる。何から何まで全て政府が資金手当てをしてくれるのではない。この点も私は勘違いしていた。

 

 巨額投資の問題は国鉄発足当初まで遡り、終戦直後の疲弊した国家鉄道を国が自ら投資して復旧させた後で、公共企業体に移るべきだったと著者は分析している。国鉄は発足当初から既に金利倒産の宿命を背負っていた。そう思わずにはいられない。

 

 著者の石井幸孝氏は50年以上も前に、同じ中公新書から「蒸気機関車」という本を出した経歴がある。新書というコンパクトなサイズに、分かり易くもツボを押さえた解説が印象的だった。他に雑誌の寄稿も読んだことがあるが、これもまた要領を得て分かり易い。今回も「この著者ならば・・・」と、名前だけで買ったようなものである。

 

 「蒸気機関車」出版当時は国鉄大船工場長の肩書だったが、それから時は流れ、国鉄分割民営化の際にはJR九州の初代社長となるまでに至る。今回の出版に際しては、経営者目線で国鉄を論ずることになる訳で、国鉄の光も影も味わってきた著者がどう評価するのか・・・、これもまた一つの見どころである。