やまびこ停車場

ただいま、過去に投稿した記事の一部を非公開にしております。

関西周遊-その2

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2010年1月  明石城 坤櫓(ひつじさるやぐら)


またまたお城の写真で恐縮ですが・・・
私は、お城や神社仏閣といった日本の伝統的建築物が大好きです!

その最たるものは姫路城に代表される石垣と天守閣のあるお城ですが、
そこまでいかなくても、小さいものでも昔のものが残っているようなものには
惹きつけられるものを感じます。

さて明石城はと言うと・・・
ご覧の通り立派な石垣と櫓。しかも当時からの建物でした!
言わずもがな、私は上機嫌でゴザイマス(^▽^)(^▽^)(^▽^)

残念な事に天守閣はありませんでした。もともと存在しなかったようです。
台まで築かれたのに実現されなかったのは、金欠のせいか、それとも幕府に遠慮したのか・・・


こちらは巽櫓(たつみやぐら)。
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「ひつじ」「さる」に「たつ」「み」。
これは・・・そう、十二支です。ご存知の方も多いでしょうが方角も意味しますね。

「ひつじさる」は南西。「たつみ」は南東。
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(出典:Wikipedia)

残る2つ「乾櫓(いぬいやぐら)」と「艮櫓(うしとらやぐら)」は現存していません。

こちらは城の南側から見た写真です。
どっちがどっちか、もうお分かりですね???
両者対称的に並んでいる姿にしばし見とれてしまいました。
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観光客らしい人よりも、こどもが遊んだり、散歩したりしている人ばかりが目立ち、
いかにも「市民公園」って感じでした。やっぱり近くに姫路城があるからか?

ここも悪くありませんって。穴場ですよ!


最後になりましたが、明石城の起源について。
1617年(元和3年)信州松本城主より明石藩主となった小笠原忠真は、明石城の西方、明石川
河口西岸にあった船上城に入城した。しかし船上城は一国一城令により大半の建造物は破却され
陣屋に近いものとなっていた。譜代大名たる小笠原氏10万石の居城としてふさわしい城郭を
建設するよう、同年に2代将軍徳川秀忠より築城命令がおりた。当時の「赤松山」の地の利を
利用し、伏見城、三木城、船上城の遺材を使用し着工された。坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城の
遺材が使用されたと伝えられている。着工から3年後の1619年(元和5年)概ね完成した。このとき
天守閣は、台石まで積まれたが、建てられなかった。

出典:Wikipedia


続く