またまたお城の写真で恐縮ですが・・・
私は、お城や神社仏閣といった日本の伝統的建築物が大好きです!
私は、お城や神社仏閣といった日本の伝統的建築物が大好きです!
こちらは巽櫓(たつみやぐら)。
「ひつじ」「さる」に「たつ」「み」。
これは・・・そう、十二支です。ご存知の方も多いでしょうが方角も意味しますね。
これは・・・そう、十二支です。ご存知の方も多いでしょうが方角も意味しますね。
残る2つ「乾櫓(いぬいやぐら)」と「艮櫓(うしとらやぐら)」は現存していません。
観光客らしい人よりも、こどもが遊んだり、散歩したりしている人ばかりが目立ち、
いかにも「市民公園」って感じでした。やっぱり近くに姫路城があるからか?
いかにも「市民公園」って感じでした。やっぱり近くに姫路城があるからか?
ここも悪くありませんって。穴場ですよ!
最後になりましたが、明石城の起源について。
1617年(元和3年)信州松本城主より明石藩主となった小笠原忠真は、明石城の西方、明石川 河口西岸にあった船上城に入城した。しかし船上城は一国一城令により大半の建造物は破却され 陣屋に近いものとなっていた。譜代大名たる小笠原氏10万石の居城としてふさわしい城郭を 建設するよう、同年に2代将軍徳川秀忠より築城命令がおりた。当時の「赤松山」の地の利を 利用し、伏見城、三木城、船上城の遺材を使用し着工された。坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城の 遺材が使用されたと伝えられている。着工から3年後の1619年(元和5年)概ね完成した。このとき 天守閣は、台石まで積まれたが、建てられなかった。 出典:Wikipedia
続く