やまびこ停車場

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闇を裂く道 吉村昭著

題名 闇を裂く道
著者 吉村昭
発行所 文芸春秋 
発行日 2016年2月10日
ISBN978-4-16-790550-7


 東海道本線にある「丹那トンネル」という鉄道トンネル工事の一部始終を書き綴った小説である。昭和61(1986)年に静岡新聞に掲載されたのが最初で、昭和62(1987)年には上下2巻で単行本化、平成2(1990)には文庫化された。私が読んだのは平成28(2016)に刊行された新装版である。

 
 丹那トンネルは大正7(1918)年3月に起工し、16年もの年月をかけて昭和9(1934)年3月にトンネル工事が完了。使用開始は同年12月である。総延長7804メートルは複線トンネルとしては当時日本最長を誇り、当初は7年で完成する予定だった。7年でも十分に長いが、実際はその倍以上の年月を費やし、工事がどれだけ大変だったかが察せられる。

 

 トンネルの両端は東京寄りが熱海口、大阪寄りが三島口で、それぞれに工事の請負会社が異なっていた。三島口は鹿島組が請け負った。現在の鹿島建設である。この会社のホームページを見ると丹那トンネルの事が写真付きで紹介されているが、百年を超える鹿島の歴史でも相当なインパクトがあったのかと思うと、中々に興味深い。


 私が丹那トンネルの存在を知ったのは小学生の頃、道徳の教科書で読んだのがきっかけだった。ストーリーは殆ど忘れたが、工事中のトンネルが崩落し、奥に取り残された作業員たちは暗闇の中で不安だったが、その内の一人が歌を歌って皆を元気づけた。自らも恐怖に苛まれながら勇気を絞って周りを励ました行動が道徳性に富んでいた、という話だったと思う。

 

 この出来事は、小説を紐解くと大正10(1921)年4月1日、熱海口で発生した崩壊事故となって現れてくる。救出されたのは4月8日なってからで、飢えを凌ぐ為に藁を口にしたとか生々しい描写も多い。救出に手間取った外の救助隊は遺体収容になると思っていたから、正に奇跡の生還。後世にまで語り継がる訳である。

 

 この事故が片付いた時点で、本のページはまだ半分以上が残っていた。歴史的にも完成はまだ10年以上も先の話。この先どんな困難が待ち受けているのか・・・、推理小説でもないのに先が気になって仕方がない。500ページの長編小説、気長に読むつもりが一気に読み徹してしまった。

 

 ところで、読み終わった私は丹那牛乳が飲みたくなって、都内で扱っているという店を見つけて手に入れた。もの珍しさに惹かれてケールのヨーグルトもついでに。

 トンネル工事は途中から大量の湧水に苦しめられることになった。対照的にトンネルの真上にある丹那盆地では渇水に悩まされ、稲田やワサビ田に水が引けなくなっただけでなく、飲み水にも事欠くようになる。後から判明したが、一帯は地下水で潤っていたのである。地元集落からは請願が起こり始め、やがて荒ぶる感情にエスカレートしていく。これが小説後半のメインになる。
 
 何年も揉めに揉めた挙句、農民たちは巨額の補償金を勝ち取ったものの、失った水は戻っては来なかった。丹那盆地では以前から酪農が営まれていたが、渇水を機に水田耕作の代わりとして酪農に力を入れるようになったという。その流れを汲んでいるのが丹那牛乳である。

 

 これを知ったとき、何故だろうか、渇水で穏やかな生活を奪われた丹那盆地の農民たちに同情してしまった。小説の力なのか?ともあれ私は往時を偲んだつもりになって丹那牛乳を味わった。牛乳はコクがあるし、ヨーグルトも酸味が無くて普通においしい。近所のスーパーに置いてあったら間違いなく普段使いの品になるだろう。

 

 なお、この小説は鉄道史については宮脇俊三氏にご教示頂いたという。最後は東海道新幹線の新丹那トンネルで締めくくられていた。