「舟っこ流し」 盛岡藩四代藩主だった南部行信の娘が享保年間に川施餓鬼の大法事を行ったのが始まり。 1815年に津志田遊郭の遊女らの乗った舟が、氾濫した北上川で転覆。その後溺れ死んだ遊女の霊を 慰めるため、舟に位牌と供物を乗せて流し、以後、盛岡の人々の間で盛んに行われるようになった。 出典;Wikipedia
父も同様に一度しか見たことがなかったとか。理由は「駐車場がない」だそうで。
なるほど、道理で連れてくれなかったわけだ(笑)。
なるほど、道理で連れてくれなかったわけだ(笑)。
私もその界隈には詳しくなく、駐車場は探せず終い。
結局、教育会館の駐車場に止めてそこから歩いていきました。
結局、教育会館の駐車場に止めてそこから歩いていきました。
やっぱり見物人は多かったですね~。
多いとは言っても、空間に余裕がないわけではなく、
近所と思しき人はシート広げて、缶ビールをグビッと飲んでましたよ~。
初めて生で見たときは、花火に爆竹、音も光も凄くて、
「日本の伝統行事というより中国の年中行事みたい」というのが偽らざる感想でした。
多いとは言っても、空間に余裕がないわけではなく、
近所と思しき人はシート広げて、缶ビールをグビッと飲んでましたよ~。
初めて生で見たときは、花火に爆竹、音も光も凄くて、
「日本の伝統行事というより中国の年中行事みたい」というのが偽らざる感想でした。
PRポスターとか映像で見た限りだと、こんなのはなかったような気がする・・・。
だから初めて見たときは衝撃的でした。
だから初めて見たときは衝撃的でした。
この界隈は盛岡でも古くから町があったところで、生粋の盛岡!ってな感じ。
お盆もUターンの時期で、他所の人なんて殆どいない。
お盆もUターンの時期で、他所の人なんて殆どいない。
そう思ったのは盛岡訛りが随分と耳についたというただそれだけの事で、
実際はどうか分かりませんが、とにかく盛岡の雰囲気が充満しているのを
ひしひしと感じ、久しぶりに一盛岡人に戻れたひとときでした。
開始から1時間近く経ち、日も大分暮れてくると、舟っこ流しもそろそろ終盤です。
赤く静かに流れ行く精霊舟。広告でおなじみ、晩夏の盛岡の風物詩。
実際はどうか分かりませんが、とにかく盛岡の雰囲気が充満しているのを
ひしひしと感じ、久しぶりに一盛岡人に戻れたひとときでした。
開始から1時間近く経ち、日も大分暮れてくると、舟っこ流しもそろそろ終盤です。
赤く静かに流れ行く精霊舟。広告でおなじみ、晩夏の盛岡の風物詩。
盆の終わり、夏の終わりをしみじみと感じさせてくれます。
どうか祖霊たちが安らかでありますように。
どうか祖霊たちが安らかでありますように。
何軒かの家が、家族で玄関に出ていて、鉄のカゴに薪を入れて火を焚いて・・・
最後にそれが見られてとても嬉しくなって帰ってきました。
最後にそれが見られてとても嬉しくなって帰ってきました。
花火のお話はまた後にでも。