長野電鉄、屋代からまずは須坂まで。そこで出逢ったのは・・・
長野電鉄2000系 1957年(昭和32年)から1964年(昭和39年)までに3両編成4本(12両)が日本車輌製造で 製造された。ハイメカニズムと上質な設備を兼ね備えた当時の優秀車であり、1950年代後半の 地方私鉄の電車としては希有な存在であった。 半世紀にわたって長野電鉄の看板電車としての地位を堅持し、長野市と湯田中温泉・志賀高原を 結ぶ特急列車として運用され続けてきた。 出典:Wikipedia
来た列車をファインダーに収めました。
「ハイ、お疲れ様でしたっ!!」
もう、そういう気分でした。まだ宿にもたどり着いてないのに・・・。
この旅行はもうフィニッシュです(笑)
この旅行はもうフィニッシュです(笑)
まぁそれ位メインディッシュな訳だったのでして、とにかく非常に嬉しかったですね。
何せ、今では稀少もまた稀少の地方私鉄のオリジナル車両、それも特急用な訳ですから。
何せ、今では稀少もまた稀少の地方私鉄のオリジナル車両、それも特急用な訳ですから。
写真は「普通長野行」でしたが、折り返しの運行は「B特急」でこの車両に乗ったのですよ。
これまたモ~雰囲気は良かったですね~。
これまたモ~雰囲気は良かったですね~。
何が良かったというと、鉄道旅行の情趣的に良かった!古い車両、地方私鉄のオリジナル形式、
そして夕方の時間帯というのも幸いしたのでしょうが、座席は9割方埋まっていて、
鉄道全盛期の息吹が未だ残っているような、そんな感じでしたかね。
そして夕方の時間帯というのも幸いしたのでしょうが、座席は9割方埋まっていて、
鉄道全盛期の息吹が未だ残っているような、そんな感じでしたかね。
続く