やまびこ停車場

ただいま、過去に投稿した記事の一部を非公開にしております。

天璋院篤姫展

今、大河ドラマで旬の「天璋院篤姫展」が江戸東京博物館
やってましたので見に行ってきました。

ゆかりの品を見られるというのは有難いことで、お陰で新しい収穫を
得て来たのでありました。

ところで・・・、この博物館の常設展は600円と普通なのですが、
企画展は、なーんと2倍の1200円!!

「どわー、たけー!」

にも関わらず旬の人なので、展示室は人!人!人っ!
特に目立ったのは中高年の女性たちでしたね。

発券所に、観覧時間40分~1時間とあったのですが、
あまりの人の多さにかかった時間は、何と2時間!!

ふぃー、わたしゃ疲れちまったよぉ・・・。

長居したにもかかわらず、観客の多さに、展示品を見るのも容易ではなく、
人ごみの中をかき分けながら、それこそ目をらんらんとさせながら
一生懸命見て・・・、それでも斜め読みって感じでしたね。

あーもー、やっぱり人ごみ大嫌いだー!!

まぁ、愚痴はそれくらいにしておいて・・・
新たな発見といえば、


1.やっぱり子供は欲しかった

もともと篤姫は政略結婚で、一橋慶喜公の将軍後継の後押しの責を担って
輿入れしたのですが、かいつまんで言うと「夫(将軍家定公)との間に
子が出来るかもしれないので、朝廷から他の誰かを将軍に指名しない様、
お願いします」という書状があったのです。

当たり前といえば当たり前なのですが、姫もわが子を産んで次期将軍と
なってもらいたかったのでしょう。夫に早く先立たれ、そして幕末激動、
幸せとは程遠い徳川将軍家にもかかわらず、最後まで守ったところに
大奥首座の立派さを改めて感じました。

2.仙台伊達藩にお願い事

大政奉還が余程悔しかったのでしょう。仙台伊達藩に送った書状に
江戸城を取られて悔しい!、ついては伊達殿お引き立ての程、
よろしくお願いします」といったようなことが書いてありました。

仙台藩は、徳川に味方する奥羽越列藩同盟の盟主。そこを
頼って徳川の盛り返しを図ったのでしょう。一方で出生地の
薩摩を酷評してました。

もうすっかり徳川の女性だったのですね。
企画展のキャッチコピー、
「女の道は、前へ進むしかない、引返すのは恥でございます」
伊達藩に送っただけあって、伊達に言っちゃぁいませんよ(笑)


3.断髪には何と警察の許可が必要だった!

現存する篤姫の写真は断髪後のものだったのですが、何と!
当時は断髪するのに警察の許可が必要だったのでした。
断髪許可証なるものが展示されていましたよ、ビックリ!

篤姫存命中には既に警察制度が創設されていて、当時は風紀取締りのために
女性がみだりに髪を切ることが禁じられていたそうです。


企画展は4月6日までです。
興味のある方は、混雑覚悟で行かれたし。
一見の価値はあると思いますよ!