やまびこ停車場

ただいま、過去に投稿した記事の一部を非公開にしております。

「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯 城山三郎著

題名 「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯
著者 城山三郎
発行所 文藝春秋
発行日 1992年6月10日(※)
ISBN4-16-713918-9
※発行日は文庫版のもの。それ以前の1988年6月に単行本として刊行されている。


 日本国有鉄道の頂点に君臨する国鉄総裁。総裁は、国鉄38年の歴史の中で10人存在した。その顔触れを見ると10人中9人が東大卒かつ官僚出身の人物で占められている。私がこの事実を知ったとき、唯一の非東大で民間出身の総裁が何故か魅力的に映ったのである。一体どんな人物だったのか・・・。

 

 それが石田禮助(いしだれいすけ)である。東京高等商業学校(のちの一橋大学)を卒業、三井物産に入社して代表取締役社長にまで上り詰めた。国鉄総裁に就いたは三井を去って20年以上も経った77歳のときであるから、驚きを禁じ得ない。ついでに言うと、勇退と言うに相応しい綺麗な退任が出来た総裁もこの人だけだったらしい。

 

 結論から言うと、本書の内容は可も無く不可も無くと言った感じで無難に纏められていた。それよりも、本書に関しては本文よりも題名に気持ちが向いてしまったので、今回は題名に関する感想を述べたい。

 

 昔、週刊少年ジャンプ連載の「魁!!男塾」という漫画を読んでいたことがあった。その中で塾長の江田島平八が、ライバル塾の塾長を評して「粗にして野だが卑にあらず!!」と喋ったシーンがあり、少年心ながら名台詞だと感銘を受けたことを今でも覚えている。

 

 中国古典か何かの引用だろうかと当時は勝手に思い込んでいたが、今Webで検索するとそんな気配は全く無く、城山三郎氏の著作ばかりがヒットする。あの江田島塾長の台詞は、恐らく城山氏のこの本が起源なのだろうと、考えを改めざるを得ない。

 

 というわけで、本家本元(?)の城山氏の著作にいよいよ目を向けてみる。城山氏の作中では、国鉄総裁に就任した石田禮助が就任後初めて国会に呼ばれたとき、自己紹介の一節として「生来、粗にして野だが卑ではないつもり。(以下略)」と喋ったことになっている。

 

 本書は伝記と言うよりは小説で、だから本当にそう喋ったのか疑わしかったが、国会ならば国会議事録があるので、実際の発言が確認できる。石田禮助が総裁就任後に国会に初めて登場するのは昭和38(1963)年5月21日の運輸委員会のときで(衆参同日開催)、そのときの議事録を抜粋したのが以下である。


衆議院 運輸委員会での発言

「(前略) 御承知のとおり、私は生来きわめて粗野です。卑ではないが、粗にして野です。(中略) 傲慢じゃないが、ここにいらっしゃる運輸大臣そのほかのような低姿勢でいくということは私はできないのです。(笑声)これをしいてやろうといたしますと、モンキーにかみしもを着せたようなことになる。私にはそういうことは絶対にできない。石田という男はそういう粗野の男で、低姿勢のできない男だということを十分御了解の上で私を見ていただきたいと思います。(後略)」

 

参議院 運輸委員会での発言

「(前略) 私は、どうも生来きわめて粗野で、ほかの、この前の総裁及びここで拝聴していました運輸大臣のごとき低姿勢で答弁するというようなことは私にはできないし、また柄でもない。しいてこれをしようとすると、モンキーにかみしもを着せたような変なことになりますので、どこまでも正直に、ありのまま申し上げます。どうぞひとつ十分の御理解をいただきますように、切にお願いしておきます。(後略)」


 なるほど、確かに「粗野」で「卑ではない」とちゃんと表明している。意外だったのは、小説とは違って実際の発言は「ですます」調が基本だったこと。本書では、目上の人との会話シーンが少ないせいか、石田自身の発言は殆どが所謂タメ口で、粗野を印象付けるには十分過ぎる位だった。

 

 国会での発言も小説中では偉ぶっている表現だったから、本当にそういう人なのだと勘違いを起こしてしまったが、プライベートはともかく、公人としての石田禮助はもう少し節度ある人物だったと見て良いだろう。